そう。何事も道理を忘れずにいたいものです。
“重要なのは手段ではなく目的です。太陽光はひとつの手段にしか過ぎません。本当に必要なのは、原発に変わる新しいエネルギーです。事業定義と同じで、定義のしかたを間違うと政策も失敗します。
…
企業が太陽光に賭けることはいいのですが、政府は新エネルギー開発に関しては、カテゴリーを超えた競争の公平性をたもつべきだということを強調しておきます。”
悪平等ならぬ悪公平はダメだけど。
そう。何事も道理を忘れずにいたいものです。
“重要なのは手段ではなく目的です。太陽光はひとつの手段にしか過ぎません。本当に必要なのは、原発に変わる新しいエネルギーです。事業定義と同じで、定義のしかたを間違うと政策も失敗します。
…
企業が太陽光に賭けることはいいのですが、政府は新エネルギー開発に関しては、カテゴリーを超えた競争の公平性をたもつべきだということを強調しておきます。”
悪平等ならぬ悪公平はダメだけど。
要領よくまとめた報告と、「常識」ある反響だったことでしょう。
原子力村の人も、今ならまだ間に合いますヨ。
常識と道理を取り戻すのに。
“政治、官僚、学会、メディアが電力とどうつながってきたか、それぞれがどう利権に関わってきたか、日本の「原子力村」の現実は、外国の議員にとっては驚きだったようだ。
スイスの議員から、スイスでも同様の利権構造が存在するという話がでた。スイスでは、議会の決定を住民投票でひっくり返したそうだ。
日本に住んだことのあるイギリス人のジャーナリストが、なぜ、地域独占の電力会社があんなにコマーシャルを出すのか不思議に思っていたが、その謎が解けたと笑っていた。
コストに利益を載せて電力料金を決める総括原価方式の説明では会場から笑いが出た。いかに再生可能エネルギーのコストを下げるか、資本コストを削減するかという議論がグループセッションで行われている中で、コストがいくらかかっても利益を載せて料金で回収できるこのようなシステムがあることにびっくりすると同時に、これでは日本の再生可能エネルギーは進展しないねとみんな同情的だった。”
ブリュッセルで開催されているClimate Parliamentだそうです。
国内でも同じこと。
“(1)環境破壊と先住民の権利の侵害という問題で、(2)サプライチェーンに連なるという理由から、日本企業の社会的責任が問われているという状況は、グローバル化をさらに進める多くの日本企業にも「他山の石」とすべき事例である。
日本企業は、特に先住民の権利侵害という問題に感度が低い。これは、国内で事業活動がその種のインパクトを引き起こすことがほとんど考えられないからである。しかし、海外では全く様相は異なると考えるべきである。
とりわけ、2011年は「企業の社会的責任」をめぐって、「企業の事業活動をめぐる人権侵害」が大きな注目テーマになりそうな情勢にある。”
”そもそもありのままの実在とは、人間にとって認知を超えたものである。人間は自然=世界をかならずひとつの意味あるコスモスとして、人間化して生きるのである。そして、混沌たる世界にひとつの意味ある枠組を与える作用をこそ、われわれは文明と呼ぶ。それ自体無意味な世界を意味あるコスモスとして再構成するのは人間の宿命なのだ。問題はその再構成された世界が、人間に生きるに値する一生を保障するかどうかにあるだろう。”
『逝きし世の面影』渡辺京二、平凡社ライブラリー、2007初版第15刷、p469-470
人々の心と生き方への洞察を欠いた環境論は、狂信にすぎない。
工業化より酷い弊害を、地球に残すだろう。
「環境」や「持続可能性」、「複数のボトルライン」が優れたテーマであると感じるのは、生活者の立ち位置で、世界中の人たちとコミュニケーションできること。
通信テクノロジー、交通システムの貢献も大きいですね。