直ぐに結果が出ないこと、因果関係が複雑で、客観的に評価しづらいことへの、新たな枠組みでの挑戦が続いてる。
素晴らしいし、それぞれの努力は実に尊い。
周囲の無理解や慢性的なリソース不足に立ち向かい、前進していく姿への敬意は、増すばかり。
多くの場合、リーダーシップをとっている人や影響力を持っている人は、目に見える評価が外部から下されるチーム仕事を最後までやり遂げる経験を持っていなかったり、訓練をうけていない。
周囲にも、厳しくチーム仕事ができるスキルを持った人は少なく、おヤクショやコンサル、センセイ、一人仕事や報告書が成果物の皆さん、社会に出てからずっとこの世界に居る皆さん。
結果が見えにくいので出来たような気になっているが、「仕事の仕方のスキル」は伸びない。
時として、自分たちの立派な「社会性」と善意と「新時代さ」を言い訳に、気付こうとしない。
何やら新しい「協働のスキル」みたいなものを盾に、自らを客観視しない。
「協働のスキル」的なものでも、関係者との間できめ細やかにきっちり仕事を進めること、計画と振り返りと軌道修正を常に行うこと、マネジメントの存在などの基本は同じなのに、専門分野から想像出来る楽な部分(ちょっと頑張った感が得られる部分)だけを受け入れる。
…ある人たちが学び、実践するファシリテーションの目的(彼らの目的ではなく、ファシリテーションの目的) は、仲良しを増やすことなんだって…
巧妙な人たちは、税金を財源とした「事業」を囲い込む仕掛けの中で、世間の評価に耐えられないファンタジーのぬるま湯の中で、おヤクショを喜ばせるスキルを磨く。
もともとチーム仕事のスキルを持っていた人も、不幸な場合、やがて、この世界はこんなもんかと泥んで行く。
この問題、あるいは構造への気付きがいつまでたっても生まれないので、当初理解を示していた、厳しくチーム仕事ができる人たち、その大切さを見失わない人たち(内部の人も、外部の人も)は、辛抱強く付き合った果てに、そっと離れていく。
それでも気付かないで、相手のせいにする。
自分たちは社会的に良いことをやってるという自負は、相手のせいにして、物事を終わらせる。
一方で、このことを知っていて、ミッションを追いながらも同時に「仕事の仕方のスキル」をレベルアップしようとして、七転八倒の人たちも居る。
元々手薄な中でミッションを追う上に、「仕事の仕方のスキル」の向上も自分たちに課しているので、一層パワーが足りず、ボロボロになる。
彼らの認識のレベルと挑戦の質に気付かない周囲は、ボロボロぶりだけを捉えて出鱈目なやつらだと非難し、問題の本質が顕になることなく彼らの孤独は続く。
幸い上手くマネジメント出来ている、仕事の仕方のレベルの高いところは、わざわざ自らを露出しない。それがマネジメント出来ている証しでもある。
自らに甘いものが甘やかされる。
やがて自らの首を絞め、恨みごとと、徒労感と、うまくすれば、目立ってなんぼの旗振りの名声と満足だけが、跡に残る。
自らに厳しいものが厳しくされる。
仕事の質について認識があり、仕事の仕方の高いレベル(というより、当然のレベル)をもミッションに加えて自らに課す、新たな試みへの挑戦者たちが、どうか折れないでいてくれること、続いてくれることを、祈る。

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