共通の未来のために-My feelings, when I think of our common future.

Posts Tagged ‘civilization’

イカロスの飛び方ではなく、ダイダロスの飛び方を。

In Uncategorized on 2011/08/15 at 17:55

神話の中のテクノロジー。
その智慧を。

(注)ここのテーマとこの写真、リンク先とは、な~んにも関係ありません(^_^;)
ここのテーマの直接的な絵があるとすれば、あのデタラメで日本を、世界を窮地に陥れようとしている、あのデタラメプラント群とその大小の利権の方々でしょうか。

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動画アーカイブ 『神話の力~ジョーゼフ・キャンベルとの対話』

In Uncategorized on 2011/08/14 at 13:58

1994年と1996年に、NHKで合計3度放送された番組の、YouTube動画だそうです。

 

<2011.8.15 追記>
動画を見つけるきっかけになったブログ「前から後ろから!」さんが、この6本の動画に関する考証を掲載してくれました。
それによると、この動画は日本での放送版ではなく、アメリカで発売されたDVDに日本語吹き替えが編集で入れられたもののようです。
詳しいことを、リンクした記事の【追記】で、ぜひご一読ください!
「動画 ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』-1」2010.4.17 http://fujikko92.exblog.jp/12494874/

 

★Vol.1 英雄伝説

 

★Vol.2 神と人間

 

★Vol.3 古代の語り部

 

★Vol.4 死と再生

 

★Vol.5 愛の女神

 

★Vol.6 永遠の仮面

 

ボクはつい最近まで、この人のことも、この放送のことも、この放送を基に出版された 『神話の力』 The power Of Myth と言う本も、知りませんでした。(名津さん、ありがとう!)

2011年の暑い夏、今年もめぐってきた8月の神聖なひとときに、まったりとこのビデオを見て、本を読みます。

人類が人類の上に2度も続けて核兵器を落とした記憶が薄れつつあり、

同じ国が再び核の脅威に晒されている2011年の、暑く神聖な季節に。

そういう国に生まれ育ち、その出来事の時代に生きている。

ちっぽけな命に出来る最善のことはいつだって、生かされている自分の持つ力を、精一杯使うことなのでしょう。

最善どころか、唯一のことかもしれません。

目に見えない叡智の中にある、生かされている自分を識る。

 

(★これらのYouTube動画は、”神話の力”で検索して、「前から後ろから!」というブログを参考に、見つけることが出来ました。

「動画 ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』-1」2010.4.17 http://fujikko92.exblog.jp/12494874/

 
★6回シリーズで、「海外ドキュメンタリー」として2度、「知への旅」として1度放送されたと、「モンバサ・ジャンクション」というサイトにあります。

http://homepage3.nifty.com/mombasa/dummaro/9.htm

第6回(最終回)の放送に2つのバージョンがあって、オーム オウム事件の影響があることが書かれています。)

 
 

<2011.8.15追記その2>
ブログ「前から後ろから!」の negitoromirumiru さんから、ご指摘がありました。
ありがとうございます!
●「オーム」の表記を訂正しました。
●「知への旅」では2度放送されたそうです。従って、都合4度は放送されているようです。
「動画 ジョーゼフ・キャンベル『神話の力』-1」2010.4.17 http://fujikko92.exblog.jp/12494874/ の二つ目の【追記】をご参照ください。

 

またまた、ものの道理ということ。”東電救済で国民負担10兆円をおしつけるな”|河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり

In Uncategorized on 2011/07/01 at 17:56

このところ、決まった人の引用が多くて恥ずかしいが、道理について考えることが今の世の中、大切と思う。
「正義」の話しも大事だけれど、もっと生活に近くて根気のいる、「道理」のことを。

“ではどうすれば国民負担が最小化されるのか。…

…これで約10兆円になる。政府案では、この10兆円を使わないので、誰かがその分を負担しなければならなくなる。東電以外の電力会社に負担させれば、当然、電力料金が上がる。東電が機構に返済する原資も電力料金だ。国がお金を突っ込めば、それは税金による負担だ。

つまり、政府案は、株主と金融機関という最初に責任を負うべき者の責任を追及しないので(だから当然に経営陣も居座る!)、そして、積立金にも手をつけないので、その10兆円分が国民負担になる。

あきらかに公平性を欠く。さらに、巨額の負債を抱えた東電は、やる気のないままだらだらと存続し、電力改革の邪魔になる。

全く信頼できない経営陣を守り、現場で汗を流している社員の未来を曇らせる。事業再生をすれば経営陣は引責するが、新企業として再スタートを切ることができるし、電力体制も改革することができる。

国民に本来不必要な10兆円の負担を押しつける政府案ではなく、法的破綻処理による事業再生をすべきなのだ。”

引用元: 東電救済で国民負担10兆円をおしつけるな|河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり.

都会生まれ育ちが増えるって…

In Uncategorized on 2011/06/21 at 19:56

ぼくは結構、ヤバイと思ってる。
少なくとも、この国では。

“われわれは、物質と別れることはけっして出来ない。
精神はおのれの古巣を愛するものだ。
水が渇きを癒すように、岩は、地面は、われわれの目や手や足を癒してくれる。”
p153

“われわれは自然のなかで巣を営み、寄生動物さながら、自然の根や穀粒からわれわれのいのちの糧を得ており、さまざまな天体が視線を投げかけてはわれわれを孤独に誘い、いちばん遠い未来をさえあらかじめ語ってくれる。 p154

「自然」
エマソン
酒本雅之 訳

たった百六十余年前の、相馬中村藩(福島第一原発の北隣)の再興事業

In Uncategorized on 2011/06/19 at 18:03

たった百六十余年前の、相馬中村藩(福島第一原発の北隣)の再興事業を読む。

自分たちが暮らす、自分たちが拠って立つ故郷の永続を願って君臣一体となり、道理を見極め地を慣らし制度を整え力を合わせ、必死で立ち向かう姿が、富田高慶氏の力強い文体に甦る。

報徳記(岩波文庫 復刊)。

原初の開墾以来、そこで暮らす人達によって連綿と守られ、生産を、生活を支えてくれた故郷、そこで暮らす人達を護り続けてくれた故郷は、この相馬地方だけではない。

数世代に渡り(現世代は、もしかすると「二度と」)立ち入れない地にする施策とは、何か。

なぜ、それが出来ない?

In Uncategorized on 2011/06/17 at 19:34

「里に破壊の家屋なく田に草莽の残れるなく五穀繁生経界正しく道路砥の如く水路の浅深其宜しきを得たり。」
報徳記 巻之二

なぜ出来ない?
故郷が、好きじゃないのか?

電力会社保護が、我々の国の成長抑圧要因であり続けたことについて。”小国寡民のエネルギー政策” 内田樹の研究室

In Uncategorized on 2011/06/16 at 16:24

安価な安定供給という貢献の一方で、それと両立すべきことを抑圧して来たのでしう。

“エネルギーもそうなるべきなのだ。
それは本来は商品として売り買いされるべきものではなかった。
「共同体の存立に不可欠のもの」である以上、電力もまた社会的共通資本として、道路や鉄道や上下水道や通信網と同じように、政治ともビジネスとも関係なく、専門家の専門的判断に基づいてクールにリアルに非情緒的に管理され、そのつどの最先端的なテクノロジーを取り込んで刷新されるべきものだったのである。
けれども、電力を管理したのは実質的には政治家と官僚とビジネスマンたちであった。
彼らは「共同体の存立と集団成員の幸福」というものを「自分たちの威信が高まり、権力が強化され、金が儲かる」という条件を満たす範囲内でしか認めなかった。

環境負荷の少ない、低コストの発電メカニズムの多様で自由なコンビネーションによって、「電気は自分が要るだけ、自分で調達する」という新しいエネルギーコンセプトが採用されるべき時期は熟していたのである。

それが果たされなかった。
旧来のビジネスモデルから受益している人々が既得権益の逸失を嫌ったからである。
原発は彼らの「切り札」であった。
国家的なプロジェクトとして、膨大な資金と人員と設備がなければ開発し維持運営できないものに電力を依存するという選択は、コストの問題でも、安全性の問題でもなく、「そうしておけば、離散型・ネットワーク型のエネルギーシステムへのシフトが決して起こらない」から採用されたのである。
もうこの先何も変わらない、変わらせないために、彼らは原発依存のエネルギー政策を採用したのである。
人々は忘れているが、原発というのは「イノベーションがもう絶対に起こらないテクノロジー」なのである。”

小国寡民のエネルギー政策 内田樹の研究室.

電力会社を守る仕組みに経済性、成長力があるか? “personal power plant のご提案 (内田樹の研究室)”

In Uncategorized on 2011/06/12 at 12:14

“…外部電力が停止しても、自家発電できるテクノロジーをガス会社はもっている(当たり前である)。
しかし、法律上の制約があって、電力会社からの送電が止まると、自家発電装置も止まるようにメカニズムが設計されているのである。

そういう話を聞くと、電力会社の「節電のお願い」をどうしてもまじめに聴く気にはなれないのである。”

引用元: personal power plant のご提案 (内田樹の研究室).

片手落ちの地図。新聞のセンス、または意図。あるいは地域の深層 への無頓着。

In Uncategorized on 2011/06/05 at 08:40

この地図ではわかり難いが、伊方原発から松山城まで約60km。
生々しい距離。

そして、中国電力が建設計画中の山口県上関原発との距離は、伊方と10kmぐらいしか変わらない。
つまり、松山城まで約70km。
忽那諸島までは約50km。
これも生々しい距離。

上関ー伊方間は、伊予灘を挟んで約40km。
このラインで瀬戸内海を遮断することが出来る。
もし、見えない、臭わない半永久的な立ち入り不能エリアがここに出来たら…

原発の特徴は、そういう想定が出来ること。
それを隠し、目を向けさせないことの恐ろしさ。

愛媛新聞さん、シリーズ第一回の、同じ地図に載せなきゃ。
センスが現れるよね〜。
「伊方原発」を捉える視座の広がり、奥行き。

(あるいはわざとか)
(話題に挙げるとしても、後半ちょろっと言及するぐらいかな。)
絞って解りやすくするフリで、より大きな問題から目を逸らせる方法って、あるしね。

僕たちは、1945年に松山の70km先で起きたことに、鈍感なのかもしれない。

保有の古民具4000点!の台帳化

In Uncategorized on 2011/06/04 at 08:18

素晴らしい!

でも取り上げ方は平板。
「教育・福祉」だけじゃなく、もっと活かせるでしょう。
ものの見方、切り口、見出しの立て方…
そこら辺り、新聞の腕ですなあ。
地域紙が、頑張んなきゃ。