共通の未来のために-My feelings, when I think of our common future.

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辛抱強さの果て

In Uncategorized on 2011/08/28 at 15:26

 直ぐに結果が出ないこと、因果関係が複雑で、客観的に評価しづらいことへの、新たな枠組みでの挑戦が続いてる。
 

 素晴らしいし、それぞれの努力は実に尊い。

 周囲の無理解や慢性的なリソース不足に立ち向かい、前進していく姿への敬意は、増すばかり。

   

 多くの場合、リーダーシップをとっている人や影響力を持っている人は、目に見える評価が外部から下されるチーム仕事を最後までやり遂げる経験を持っていなかったり、訓練をうけていない。

 周囲にも、厳しくチーム仕事ができるスキルを持った人は少なく、おヤクショやコンサル、センセイ、一人仕事や報告書が成果物の皆さん、社会に出てからずっとこの世界に居る皆さん。

   

 結果が見えにくいので出来たような気になっているが、「仕事の仕方のスキル」は伸びない。

 時として、自分たちの立派な「社会性」と善意と「新時代さ」を言い訳に、気付こうとしない。

 何やら新しい「協働のスキル」みたいなものを盾に、自らを客観視しない。

 

 「協働のスキル」的なものでも、関係者との間できめ細やかにきっちり仕事を進めること、計画と振り返りと軌道修正を常に行うこと、マネジメントの存在などの基本は同じなのに、専門分野から想像出来る楽な部分(ちょっと頑張った感が得られる部分)だけを受け入れる。

…ある人たちが学び、実践するファシリテーションの目的(彼らの目的ではなく、ファシリテーションの目的) は、仲良しを増やすことなんだって…

 

 巧妙な人たちは、税金を財源とした「事業」を囲い込む仕掛けの中で、世間の評価に耐えられないファンタジーのぬるま湯の中で、おヤクショを喜ばせるスキルを磨く。

 

 もともとチーム仕事のスキルを持っていた人も、不幸な場合、やがて、この世界はこんなもんかと泥んで行く。

   

 この問題、あるいは構造への気付きがいつまでたっても生まれないので、当初理解を示していた、厳しくチーム仕事ができる人たち、その大切さを見失わない人たち(内部の人も、外部の人も)は、辛抱強く付き合った果てに、そっと離れていく。

 

 それでも気付かないで、相手のせいにする。

 

 自分たちは社会的に良いことをやってるという自負は、相手のせいにして、物事を終わらせる。

   

 一方で、このことを知っていて、ミッションを追いながらも同時に「仕事の仕方のスキル」をレベルアップしようとして、七転八倒の人たちも居る。

 元々手薄な中でミッションを追う上に、「仕事の仕方のスキル」の向上も自分たちに課しているので、一層パワーが足りず、ボロボロになる。

 彼らの認識のレベルと挑戦の質に気付かない周囲は、ボロボロぶりだけを捉えて出鱈目なやつらだと非難し、問題の本質が顕になることなく彼らの孤独は続く。

 

 幸い上手くマネジメント出来ている、仕事の仕方のレベルの高いところは、わざわざ自らを露出しない。それがマネジメント出来ている証しでもある。

   

 自らに甘いものが甘やかされる。

 やがて自らの首を絞め、恨みごとと、徒労感と、うまくすれば、目立ってなんぼの旗振りの名声と満足だけが、跡に残る。

 

 自らに厳しいものが厳しくされる。

 仕事の質について認識があり、仕事の仕方の高いレベル(というより、当然のレベル)をもミッションに加えて自らに課す、新たな試みへの挑戦者たちが、どうか折れないでいてくれること、続いてくれることを、祈る。

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“命”

In Uncategorized on 2009/04/30 at 09:21
This is either the most boring game of Chicken...
Image by colorblindPICASO via Flickr

持続可能な将来を考えるとき、コアにあるのは「いかにして生きるか?」というテーマだと思う。

大袈裟なことではなく、一瞬一瞬の命。

自分の命、大切なヒトの命、自分を生かしてくれている、自分以外のすべての命、存在。

だから、こういう身近なところでの気づきや葛藤が、持続可能な将来を考える行為、心と、ストレートに繋がっていると思う。

“「あなたのやり方は失敗だった。
だけど、あなたが猫のためにとしたことは正しかった。
でもね、本当に猫を救う為には、どんなに自分が正しくても
敢えて相手に合わせて、折れることも大事なの。
自分は正しいのに、何で相手に気を使わなきゃいけないの?って、
思うと思うよ。
でも、猫を救うには、相手の飼い主さんに理解してもらわないとダメ。
あの飼い主さんにも、多少罪の意識があったのよ、でもね、
ストレートにそこを突かれて、かえって引くに引けない。
依怙地になって、あなたの話を聞かなくなってしまった。
できたなら、「可愛い猫ですね、おやつあげてもいいですか?」
そんな風にもちかけて、飼い主さんと関係を作れたらよかったね。
そんな面倒な、相手に折れるなんてイヤだって気持ちが先にたつなら、
ボランティアは難しいよ。私も辛いもの。
でも、猫のため、動物のためなの。」

救ってあげたい、守ってあげたい、でも出来ない。
それを知らない人から、なんで助けてやらないんだ!
ボランティアだろう!と怒られることもある。
つらい。できない自分がはがゆい、つらい。”

via:犬の話(長くまじめな話ですが読んで欲しいです) – ねこ☆にゃらーず

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多様性

In Uncategorized on 2009/04/27 at 13:33

多様性、身近な人との間でも、難しいのに!

Posted via email from Comune Futuro

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